軽米の山車とその変化について

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軽米の山車について、ご意見というかご感想をコメントにて頂きました。

からくり屋永匠堂なりの考えを書き込んでいたら、長くなってしまったので記事にします。

ダラダラまとまりのない文章で、私個人の勝手な考えですし、何年かすると軽米の山車を取り巻く状況も、私自身の考えも変わってるかもしれませんので、テキトーに読んで下さいね。

 

 

軽米秋まつりの
山車の変換と楽しみ方

先日コメントをいただきました

先日このブログで、軽米秋まつりに参加している本町新栄団さんの山車作り風景をご紹介したところ、次のようなコメントをいただきました。

コメントを頂いた記事はこちら。

Comment by 匿名

2013年9月7日

軽米の山車は昔ながらの小型山車と盛岡型が同居し長年楽しみにしていたのですが、八戸と同様のものになってしまうのはとても残念です。
三沢、五戸、久慈など八戸の真似ばかりで見るに耐えません。八戸は八戸。軽米は軽米でいて欲しいです。
何でも仕掛けをつけ大型化するより独自の魅力を守って欲しいです。

山車の博覧会と呼ばれた
軽米秋まつり

これについては、製作を依頼されている側としては正直なんといっていいか微妙なところですが、ひとりの山車祭り好きとして見ると、たしかに軽米秋まつりはいろんな型の山車が混在していて、そこが見どころでもあったと思いますし、今でも軽米秋まつりを見ていてそこが楽しい部分でもあります。

平成20年前後には、一戸の南部風流山車、二戸の通称ヒラさん山車、八戸人形を乗せた山車、三戸風の山車といろいろな形の山車が最も多く混在する時期で、「山車の博覧会」と呼ばれた時期もあります。

混在状態になったワケ

ではその混在状態がなぜ発生していたかというと、軽米で山車を出していた最大7つの山車組が、それぞれ八戸・一戸・二戸からの山車をまるごと借り上げて山車を出していた期間が長く、お付き合いの関係や貸出期間、価格などの交渉の結果、借り上げ先がその年ごとに変わっていたことなどが理由としてあります。

昭和60年台などは、八戸三社大祭や八戸湊まつりなどの山車を借りてくる町内が多く、現在よりかなり大型の山車が軽米の街中を運行していました。

しかし、十数年前になると思いますが、岩手県内での山車の長距離運搬に対し、警察からの許可が降りなくなったため、まるごと借り上げが出来なくなった各山車組は、自前の台車を用意してウワモノの製作依頼先を探すことになります。

その結果依頼先として、一戸の山車組、八戸の山車組、二戸の山車制作業者さん、三戸の山車組、ときには久慈や五戸の山車組がその候補に上がり、製作を依頼する流れになりました。

軽米の山車組も変化している

また軽米町内でも、いろんな事情から山車を出すことをやめた山車組もあれば、新たに結成された山車組もありますし、年度によっては製作依頼先が見つからずに苦労した山車組もあれば、祭り本番10日前に依頼先からドタキャンされて、代わりの依頼先を探すため奔走した山車組もあります。

ここ数年、平成20年台の後半に入ってからは、6つの山車組のうち4つと八戸の山車組への製作依頼が増えていますが、二戸の山車制作業者さんが製作した山車がそれくらいの数になったこともありますし、現在の八戸の山車組への依頼が多い流れも、また数年すれば変わっていくかもしれません。

各町内で事情もさまざま

そして軽米で6台の山車が出ていることは、街の規模や人口から考えるとかなり多い方ですから、軽米の各山車組の予算的な苦労は相当なものだと思います。

各山車組内で依頼先を相談した結果、山車や人形の出来栄え、価格によって依頼先が決定していると思いますし、十六日町山車組と本町新栄団さんのように、「一緒に山車を作る」ことによって「自分たちが作った山車」という誇りを持って、そこに楽しみを見いだし、依頼先の決定要因の1つと考えて下さっている山車組もあります。

仕掛けに対する想い

また軽米秋まつりの一部の山車組では、八戸三社大祭の山車を借りていた期間があるところも多いこともあり、「八戸のような仕掛けがあって派手で豪華な山車にしたい」という具体的な要望があって、その結果依頼先を決定している山車組もあります。

依頼された側は、依頼が来て条件が合えば製作する、というだけです。(製作スタッフが楽しんでやるかどうかは別として)

軽米の山車が全体的に八戸のように仕掛けがついて大型化していくなら、それは祭りの主役である軽米の方々の意向がそうであったということだろうと思いますし、また軽米の祭りに関わる方は「子供たちが喜ぶのが一番」と考えている方が大多数だと感じます。

仕掛けがある、からくりで動く山車というのは、やはりその点で喜ぶ子どもも少なからずいます。

仕掛けが動いた時の子供たちの楽しそうな顔を見れば、仕掛けを付けてそれに対応できるところに製作を依頼したいという考え方も、依頼先を選ぶ上での理由の一つとする山車組があってなんらおかしくないと感じます。

見る側は大きな流れの変化も楽しむ

結局は参加している軽米の方々が祭りを楽しんで、街全体が盛り上がるのが祭り本来の趣旨ですから、私達のように山車が好きで見て楽しむ側は数年または数十年単位軽米の山車がどのように変わっていくかという大きな流れの変化も楽しめばいいんじゃないかな、と思います。

八戸三社大祭より歴史の長い盛岡八幡宮例大祭の山車も、秋風blogさんで貴重な写真を紹介されていますが、百年単位で見るとかなり大きな変化があったみたいですしね!

私個人としては、もちろん八戸三社大祭の山車や人形、そしてからくりも好きですが、迫力と風情のある南部風流山車も大好きですし、「山車の博覧会」と呼ばれた軽米秋まつりも、とても見応えのある楽しい祭だと思います。

しかし大きな流れの変化には口出しできる立場にはありません。

結局長生きしていろんな山車を見た人が、大きな流れの変化も楽しんだ人が、一番山車を、祭りを楽しんでいるのかもしれません。

今後数十年、軽米秋まつりや、この祭りに影響があると思われる八戸三社大祭、一戸、二戸、三戸、もしかしたら久慈や五戸、さらにその周辺の祭りなども含め、祭りがどのように変化していくのか、どのような山車がお披露目され、どのような関わり合いが生まれるのか、楽しみながら長生きしましょう!

 

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