週末は白山台のグランドサンピア「沢さとの湯」に行ってきました、からくり屋永匠堂ですこんにちは。
最近はほとんど平日しか行ってなかったので、久しぶりに週末に行ったら子供が多くてびっくりしました。
男湯は平和でしたが、妻によると女湯は準備運動してから飛び込む強者がいるなど、かなりのカオスだった模様です。
さてさて、前回の記事で十六日町山車組の初作業の様子をお伝えしました。
作業が一段落して談笑している頃、突然この方が登場!
六日町附祭若者連の木村明生さん。
長年山車を作り続けてきた歴戦の勇士です。
十六日町山車組の小屋に遊びに(?)寄ってくれた明生さんに色々お話を聞きましたよ!
「型破り」に挑戦する六日町附祭若者連
2015年は「桃太郎の鬼退治」
六日町附祭若者連と言えば、毎年のように「型破り」な山車を作っては観衆の度肝を抜いてきた山車組。
昨年の山車「桃太郎の鬼退治」は多くの人の記憶に残ったはずです。
この写真が去年のからくり屋永匠堂のベストショット!
山車全体を使って巨大な鬼と桃太郎が対峙する、鳥肌が立つようなかっこいい構図です。
「でっかい鬼の山車」は強烈なインパクトを与えた
その大胆な構図はやはり沢山の人に強い印象を与えたようで、残念ながら公式審査では受賞に至らなかったものの「すぐそばふるさと」さん主催で開かれたインターネット投票ではゴールドグランプリに輝きました。
またお還りの日に六日町を山車が通るときの風景の特集も。
日和写真のブログさんでは昨年、はっち特派員として密着取材したこともあり六日町附祭若者連の写真をトップに。
また、今年の2月に開かれたシンポジウム「地域活性と三社大祭」では六日町附祭若者連の山車が資料の表紙になっていました。
こうして2015年の六日町附祭若者連の山車は、現在の八戸三社大祭の審査基準における評価項目に適合しないものの、多くの人に強烈なインパクトを与えました。
2016年の六日町附祭若者連
十六日町山車組の小屋で立ち話しながら、話題は自然と「今年の山車」へ。
そして明生さんの口から今年の題材を聞くことが出来ました!
2016年の六日町附祭若者連の題材は
「 五条大橋 」
だそうです!
そして見返しは義経修業の場。
そうきましたかー!
「それ、公開しちゃっていいんですか?」
と聞いたところ、明生さんから
「べつに何も隠すことないだろ?(笑) OKOKどんどん公開して。」
とご快諾。
まあ実際早く公開しちゃったほうが、題材かぶりも回避しやすいし山車組間での貸し借りもスムーズに運ぶのでいいんですよね。
でもなんとなく内緒にしておきたくなるのもわかります。
本当はゴールデンウィークあたりで八戸市やコンベンション協会、または振興会とかでチラシが出来上がる前に速報で仮題だけでも公表しちゃえばいいんじゃないかな、とからくり屋永匠堂は思います。
そうすれば作る方も引く方も見る方も心を盛り上げていけるし、製作途中の風景を見学に来る方も面白いんじゃないかな、と思います。
五条大橋の伝説
五条大橋は京都にあり車も通る現在でも主要な道にある橋ですが、やはり「五条大橋」と聞いて思い浮かぶのは若き日の源義経、牛若丸と武蔵坊弁慶の出会いの場としてですよね。
橋を通れば呼び止めて、互いの刀を賭けて戦い、千本狩りをしていた武蔵坊弁慶。
集めた刀は999本。あと1本というときに、笛を吹きながら現れた美少年、これこそ若き源義経、牛若丸。
後に歴史に名を刻む、二人がついに月夜の晩に相対す。
怪力任せに薙刀振るう弁慶を、ヒラリかわした牛若丸。
欄干から欄干へと飛び移り、手にした笛で額に一撃。
力の差を痛感し、参りましたとひざまずき、これより先は片時も、離れることなくついて行き、生涯の家来となりましょうと誓う弁慶でありました。
っていう逸話ですね。
ちなみによくある昔話では牛若丸と呼んでいますが、このとき義経はすでに元服してますから遮那王と呼ばれている頃です。
そして「義経記」などによると、義経と弁慶の決闘は清水寺など数カ所で数回に渡り、最後に五条天神社にある橋で最終決戦したということになっています。
実際には当時まだ五条大橋は造られていません。
しかし民間伝承では五条大橋で戦った物語が広まり、これを明治期に通称「お伽のおじさん」児童文学作家の巌谷小波(いわやさざなみ)が脚色し小学校教育にも使われた結果、こちらが有名になりました。
そしてそれを元に「最期の浮世絵師」と呼ばれた月岡芳年(つきおかよしとし)が書いた錦絵がこちらです。
義経記五条橋之図 月岡芳年
錦絵というと江戸時代に描かれたものかと思いがちですが、こちらは1881年、明治14年に描かれたものです。
非常に有名な絵ですね!
五条大橋の逸話は歌舞伎でも
史実とは異なる設定で民間に広まった義経と弁慶の出会いの物語。
すっかり定着したのは明治期に入ってからだとしても、芸能の世界、能や歌舞伎ではすでに江戸時代から五条大橋で戦ったとする演目が上演されていました。
それが「橋弁慶」ですね。
歌舞伎の「橋弁慶」では、なぜか五条大橋で千人斬りをしている牛若丸を弁慶が退治しに行く話になっています。結末は牛若丸のほうが強くて弁慶が家来になるんですけどね。
近年では「世界遺産劇場Extra平泉歌舞伎」で2013年に中村勘三郎・中村七之助によって上演されています。
六日町附祭若者連の五条大橋
山車の題材として、古くは京都祇園祭の「橋弁慶山」が有名な五条大橋の逸話。
東北では八戸だけでなく盛岡や久慈、新庄や青森ねぶたを含め各地で山車になってきました。
それを2016年、六日町附祭若者連が手掛けるとどんな山車になるんでしょう?
非常に楽しみですね!
十六日町山車組と六日町附祭若者連の山車小屋は歩いて2~3分と近いので、たまに遊びに行って製作途中の風景もいつかお伝えできればと思います。
六日町附祭若者連が今年はどんな「型破り」を見せてくれるか。
楽しみにしています!
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